つらつら

愛とは何ぞや? なんてばかなことを考えていたり。普段が腐っているので愛といえばすぐに欲に結びつくものが浮かびます。しかしきっかけはもっと崇高なやつなのでその辺がなんといいますか。言葉にすると「愛」の一文字でもカバーする範囲は広くまた自分が持っているイメージというのもあってですねうん。英語にしたらloveなんだと思うんですが、これまたイメージが・・・。キリスト圏の人、神の愛の愛もLoveなんですよねきっと。
思考でなく思いつくまま。
アメとムチ的対立をイメージする厳しい神に対しての愛(やっぱこの単語嫌だ)だとして、すでにムチであったものが廃れた(というか並立していない)のでアメonlyの中にムチ的な部分が必要になったのかな、とか。良い人も悪い人も全てを等しくというのは結局無関心に近似される、というのは普通の恋愛ものでも見られる話ではある。裏切られてもなお体現し続けるという形はある意味で(理想とされる?)母の愛に近似されるのか。それを母が持つとするのは嫌いだけどな。まぁとりあえずマリア信仰なんかはその愛が男よりは女が持ってるほうがイメージだったというとまずいのか。眉毛をマリアに例えていたのを見たことあるけれど、まぁ兄よりは母にされていることが多いのは事実だけど、それって結局何されても裏切られて傷つけられてもなお与える姿の解釈のひとつだよね。
罪を知りそれを抱え沈黙しただ生きて、記憶が確かなら許しも請わず助けも求めなかった人に「悲しいね」と泣いた外人さんは、解説にあったとおりまさにかの人であったのだろうけれど、かの人も悲しい人なわけで(いやこれは勝手なイメージだけれども)、もしかしたらある意味ホラーチックに怪談のようなオチと感じた自分はちょっと間違っている。でもだからこそ印象が強くて、だからこそふとその気配を感じるかのように、振り向いたら居るんじゃないかのように思い。もしかしたらプラスのたくさんの思いの中に、小さな恐怖が混じっていたのではないかと思う。恨みではないただ「共にある」という言葉が枷になったのでは?(ストーカーとか偏執的解釈は大間違いだと思うが) ある意味で日本人が悪霊を神に祀ったように、神格化するしか彼らの心を平穏にするすべがなかった、とか。まぁこれも違うね。しかし男がそういう愛を獲得したこと自体がある意味で特筆な気もする。つらつら考えてたらとても失礼なところに至るなぁ。
そっとかすかに縋られた指に気づく人が痛い。妙にいろんなことを納得してしまうが、回心はしないな。目に見える物を求める凡人だし。


大人しくて優しい彼女。ずっと好き、永遠に愛してると告げてくれる可愛い恋人。それをひどく傷つけて裏切るように振って、彼女が失意のうちに亡くなったと聞いて、悪かったなと思い最後の様子を聞けばそれでも恨み言ひとつ言わず、変わらず好きだと気持ちはいつでも側にいるなんて言ってたと聞かされる。その上、その亡骸は忽然と消えたんだって、なんて聞かされたら。怖いっしょ? って話だと思った自分ダメすぎ。