一応キリスト教は

許しの宗教という一面もあった(はず)。仏教は救い? 違いがわからないし、自分は、どっちも心の拠り所とするほど中に持っていない。
懺悔して許されたら本人はスキッとそれをないものにできているんだろうか。リセットなのかな。わかんないんだけど。他の人に許されて、責められることもない状況であったとしても、自分は最後まで残る、気がするんだよね。自分も責めてはないのかもしれないけど、忘れさせてくれないし、いつもそれを指摘する。ふとしたときに頭の中に現れて、「だったよね」って言っていくようなイメージ? そういうのはクリスチャンにはないのかな。
神道の神様は完全に超越者というか、人間とは別のところにいるから、罰することはあっても救済とかはないよね。こちらを見ない、見ても気まぐれなすごい力の持ち主に、小さく小さくすがり付いている感じ? 仏教はどうなんだろう、死ぬまでそうやって悩めば、死後まではそんな悩みは持ち越さなくてもいいんですよ? どうなの? 生きている内の救済ってあんまイメージないなぁ。
そんなことをつらつらと考えるきっかけになるというか、なった。この辺は日本人の感覚だろうから、クリスチャンが読んだときにどう思うのか、ちょっと興味ある。訳されてるはずだし、探したら感想あるかもしれないけど、多分外国語だよね〜。